2008年01月21日

訃報相次ぐ。



永久の別れじゃあない。先に行ってて貰うだけなんです。
本当に、本当にお疲れ様でした。


ちょっとキャラじゃないし、ここの色とは微妙に異なるかもだけど、ちょっとお付き合い下さい。

先日、千葉ロッテマリーンズ 清水直行投手の奥様が17日にお亡くなりになったというニュースが伝わり、私の一個上(学年が分からないので細かくは分からないのですが)と言う話で……。清水投手やお子さん達にはとにもかくにも「ガンバレ」としか言いようがないわけで……。

身内を亡くすつらさが少しでも分かる私(2006年9月に実父が逝っています)。父の訃報を聞いたとき、私は職場だったのですが、最初は本当に実感がなかったですし、それでも父が頑張っていたのを知っているから「お疲れ様」ってキモチの方が強かったんです。でも、いざ式になって、父の旧知の方々の顔を見た途端に色んなオモヒデがグワンぐンまわってきちゃって……。流石に一周忌を越えている今だと多少は冷静に振り返ることが出来るんですけど、当時はどうしても、ね。気晴らしがてらファイターズスタジアム鎌ヶ谷に行って、カビーとおいやん、イノジュン、寺本くんの打棒に癒された、そんな当時の記憶をふと思い出してしまいました。

ただ、こういった話はバラエティ班の自分のキャラじゃあないし、ここの色ともちょっと違うんで、心の中だけに留め置いておこうと思っていたんですよ。



……ヒロカズさんの訃報を聞くまでは。



加藤博一さん。西鉄ライオンズを振り出しに、阪神タイガース、横浜大洋ホエールズと渡り歩いた漢……。

阪神時代は江川キラーとして、横浜大洋ホエールズではスーパーカートリオの一角として、オフはプロ野球ニュースのアイドルとして活躍。オヤジ様の巨人好きから脱却して、地元球団である横浜大洋ホエールズが好きになっていたオサナイ少年が一番最初にファンになったプロ野球選手です。(地元球団としてロッテオリオンズと言いたいところですが、自分自身の世界が狭かったこと、当時のパシフィックリーグの扱いなども含め、横浜大洋ホエールズな人へ。どうも川崎は神奈川っぽくないと今でも思っています)。プレースタイルや野球があんまり分かっていなかった(今でもあんまり分かってない気もしますが)当時にもかかわらず、わかりやすい遠藤さんや屋敷さん、高木豊さんに大ちゃんではなく、ヒロカズさんを好きになったのはやっぱりそのキャラクターでしょうね。

当時、マルハのおかずのりの懸賞で横浜大洋ホエールズの選手サイン入りグローブが貰えるキャンペーンがあったんですよ。ジャイアンツ好きな家族を尻目にせっせと応募していたオサナイ少年。サインが欲しい選手の欄には「加藤博一」と何回も何回も書いていたんです。


そんなある日、ウチに届いた青いSSKのグローブ。当選通知と共に加藤博一選手のサインがシルバーのペンで書かれていたのです。


これは本当に嬉しくて、届いた当日はドキドキして眠れなかった記憶があります。ただ、外野手だったヒロカズさんのサインが入っていたのは軟式・内野手用のグローブ。会社の草野球チームに入っていたオヤジ様のポジションはショートストップ。おジャリ様で野球はキャッチボール程度でしかなかったオサナイ少年の懇願も叶わず、オヤジ様愛用のグローブとして使用されてしまいました。グローブとしてはお飾りにされているよりも良かったんじゃないかと思う反面、なんてもったいないことをしてくれたんだろうというキモチも当然ながらあります。今となっては、本当に思い出なんですけどね。



訃報が続きすぎてちょっと辛いでけど、その人を忘れないでいる、生きている人が精一杯生きるって事が私は重要だと思うんですよ。

だから私は明日も精一杯生きてやろうと、精一杯生きて楽しんでやろう思っています。

そして、先に行った人を忘れないでいようと思っています。





本当に謹んで哀悼の意を表したいと思います。
posted by おさない at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ぷろやきう、など
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