2006年10月18日

ゲームのお話(1)

さて、かもめーずの2006シーズンが終わった途端にエントリーが多くなっている昨今ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか? 土日が詰まっている私にとっては、先日内容が発表された鴎のファン感謝デーがどうなろうとどんな塩興業になろうと関係ありませんw 行かれる皆様のネタを楽しみにしていますよ。祝日にやってくれたっていいじゃねぇか(´・ω・`)

つーわけで、かもめ野球はオフシーズンだわ、男なら大道があっとびっくり讀賣入りだわ、ドアラとBBの闘いは土曜日まで始まらないわ、ハイパー地味様から華麗なる舌禍王に転身なされた金村Pがフェニックスで炎上だわと、趣味全開フラグが立ったので色々とピコピコなゲームのお話でもしてみようかなと思います。

って、あ……。
現在も引き続き絶賛引っ越し中の家にドリキャス置きっぱなしだ( ´∀`)
しかもドリキャスの所有ソフトには、本当に色々とネタが一杯なのに。うむ、掃除がてら引き上げてこなくてはっ!

今年の大社ドラフトで指名を受けたので、あと一ヶ月と数時間でいよいよ三十路ーず入団な私ですが、ご多分に漏れずファミコン世代であります。購入は発売から少したった日だと思います。兄と私のたっての希望で、家族全員で茅ヶ崎駅周辺のおもちゃ屋さんを捜索したのも懐かしい思い出。我が青春のダイナミックダイクマや鳩のマークの方が好きだったイトーヨーカドーは売り切れ。確か、北口近くのしもざと模型店か、湘南の模型鉄にはおなじみであると思われるアオキ玩具店で買ったと思われます。この辺はまだ茅ヶ崎駅に駅ビルが出来ていなかった頃のお話なんで、キオクがあやふやもいいところ、なんですわ。

初期に買ったファミコンは既に■のゴムボタンから●のプラスチックボタンに変わっていました。友達の家にあった■ボタンは押し辛かったなぁと切ない思い出。ソフトは確か「ベースボール」と「F1レース」だった気がします。後にオヤジ様がやる目的で「ゴルフ」も追加されましたっけか。連射目的で買ったジョイパッドを使い、「ベースボール」でとんでもない玉を投げて遊んでいたのも懐かしい思い出。「ゴルフ」は兄貴とよくラウンドしたしw、「F1レース」は416km/hを目指してオーバルコースを走り込んだもんですよw


しばらくしてやって来た大物ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」


ご多分に漏れず、オサナイ家にもやってきました。最初は品薄でプラチナROM化していたのが供給が追いつき、オサナイ家にもやってきたのです。ただ、その直後に偽ROM疑惑が出たときは真っ青になりましたけど、一応は起動してるしいいや、なんて思ってました。ただ、接点が甘くなっていたからなのか、斜め差しでないと起動しないときが多かったんですけどね。未だにアレが正規なのかバッタなのかは判りませんが。

その後もゲームな流行にはちゃんと乗っかり、ドラクエ123等もプレイしていました。1はまだよかったんですけど、2ではふっかつのじゅもんが合わないと泣き、「もょもと」になって楽をしたり。3では起動時に呪いのテーマを聞いて背筋が凍った、そんなキオクがありおりはべり。あとはディスクシステムも家にありました。オトナになってからtvkの番組「sakusaku」でディスクシステムの起動音を聞いたとき、あまりの懐かしさに少し涙。ディスクシステムのソフトは…よく茅ヶ崎のダイクマに行って500円で書き換えてもらったもんですわ。「ファミコンむかしばなし・遊遊記」とかをプレーしたキオク。

そして「プロ野球ファミリースタジアム」ブーム到来。一番最初の版からファミコン時代の版はたしか全部家にあった気がします。それ以外にもファミコンの野球ゲームはいっぱいありました。「究極はりきりスタジアム」「頑張れペナントレース」「燃えろプロ野球」……。ファミスタの頂点は揺るぎなかったですけど、その他の野球ゲームも良い味出してました。しかし、コドモの頃はサクサク出来た守備がオトナになってから全く出来なくなったのは何故なんでしょう(苦笑)。先日、兄が買っていた「プロ野球 熱スタ2006」のファミスタモードをちょっとプレーしましたが、守れない守れない。引っ越し作業中に出てきたプレステのワールドスタジアム2でもダメ。たとえるならば、全ポジションでパッくんのファンタジーベースボールw やはり、常日頃の鍛錬というのは重要だと言うことでしょうか。



中学に上がった辺りでスーパーファミコンが登場。基本的にファミコンと同じような操作方法でしたから、プレイ自体はスッと入っていけました。とりあえず、ソフトの起動が安定したってのは一番大きいでしょうね。スロットとかソフトをフッて息を吹きかけなくてもよかったですしw

でも、あれですよね。あのころって自分ちにあるソフトだとかを持ち寄って友達んちでよくゲーム大会をやってましたなぁ。対戦格闘が移植され始めたのもSFC辺りからでしょうか。スト2で初めて昇竜拳や波動拳が出たときは嬉しかったなぁ。技を出すコツがわかるまでは技を出すのが簡単だったエドモンド本田をよく使ったものですじゃw

高校の時分は工業高校生としてどす黒い青春を送っていました|||orz 車やバイクが話題によく上ったのもこの頃でしょうか。なのでゲームの嗜好もレースゲーム中心。まだ冠にドリキンの中の人の名前が入っていた頃の首都高バトルは友達とよく遊んでいました。高校上がりでその友達の家に行き、ある程度までプレイ。その後帰宅なんてこともよくやっってましたっけ。あとはゼロヨンチャンプシリーズでしょうか。ひょんな事から手に入れたPCエンジンの第一作でサブゲームの無駄な熱さにグッと来てSFC版も買ったような……。PS版は色々と詰め込みすぎたあげくに身動きが取れなくなってしまった、そんな噂があり手を出しませんでしたけどね。


高校生になり、原チャリいじってプロロロ言わせてた私(紫色の道を見る方でなく南海部品方面よw)。ゲームより車だバイクだとゲームをプレイすることから離れそうになっていました。しかしその私を再びゲームの世界に引き込んだゲーム機が1994年12月3日に発売されることになるのであります。


(つづく……けど、次回はえらく濃くなりそうな予感w)
posted by おさない at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | Game
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